民主化を信じない朝日。現状維持が最高と思っているのだろうか。それならODAも余計なお世話のはずだが。事実を記事にしているような感じだが、事実は一つではない。
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〈連載―世界変動〉民主化、米国の挫折(1/6ページ)
2009年1月3日11時1分
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1日、イラクの首都バグダッドで、前日まで米国大使館として使われていたフセイン元大統領のかつての宮殿に、イラク国旗が掲げられた。
この日、11年末までの米軍撤退を定めた駐留協定が発効。市中心部で米軍が管理してきた区域「グリーンゾーン」の治安権限がイラク治安部隊に移された。域内の米大使館も移転。マリキ首相は「イラクの主権回復を象徴する日」と高らかにうたった。
「イラクの自由作戦」と名付けられたイラク戦争の終結から今年で6年。憲法が制定され、国民議会の選挙が行われた。今月末には2度目の地方選挙も予定される。人々は自由を得て、民主化の道を歩んでいるかに見える。だが現実には逆行の動きが広がる。
首都から北西400キロ、チグリス川のほとりに広がる北部最大の都市モスル。様々な宗派や民族が幾世紀も共存してきたが、いま非イスラム教徒の少数派の脱出が続く。
古くから伝わる少数宗派ヤジディの信者、主婦バラン・ハルフさん(58)はモスルから25キロ離れたシェハーンという町に移り住んで2年近くがたつ。息子の工場が襲われ、信仰を同じくする従業員24人が殺されたからだ。
「早く逃げろ、と隣人が車を出してくれた。死んだ夫の写真すら持ち出せなかった」。11人の子供を連れ、32年住み慣れた町を出た。以来モスルには戻っていない。
昨年10月にはキリスト教徒の暗殺事件も起き、3週間でキリスト教徒1万3千人が逃げ出した。民主主義の物差しとされる少数者の権利が守られない状況が広がっている。
「米国はイラクに侵攻する際に三つの口実を挙げた。イラクとアルカイダの関係。大量破壊兵器の存在。民主主義の必要性。最初の二つが証明できなかったので、米国は3番目に頼るようになった」
バグダッド大学のハッサン政治学部長はこう指摘したあと、続けた。
「独裁が倒れ、議会や政党など民主主義の形はできた。だが人々は自分の民族や宗派、部族に投票するだけ。排他主義がむしろ強まった」